ルーティンができた。

前夜に友人と飲んで、そのあとスタバでコーヒーも飲んだ。
で、帰宅してネットサーフィンになだれこむ。
そのせいで、7時くらいまで起きていてしまい、
起きたのは20時というもうめちゃくちゃな昼夜逆転。
百歩譲って徹夜を許したとしても、12時間睡眠はあんまりだろう。
もしかして薬が効き過ぎるようになってしまったのだろうか?
その点については経過観察して主治医と相談だな。
だが、今は年末なので、下手に薬を減らして眠れなくなったら
病院もお休みで対処不能ということになりかねないので、
実際に減薬を試すのは年明けのほうがいいかもしれない。

で、睡眠はひどいありさまだったのだが
今日はいままで掛け声倒れだった「ルーティン」ができた。
うれしい。本当にうれしい。
いままで先延ばしにして積んでいた公的書類の処理も半分くらいできた。
ここ数日、快方というか、前進しているのをじわじわと感じる。
もちろん、ダメな方・足りない方を数え上げたらきりがないのだが
まずはゼロからイチの積み重ね。この調子でいきたい。

ただ、困っていることもあって、
それは、アウトプット欲求に実際の行動が追いついていないこと。
表のブログを書きたい、小説を書きたいという思いはあるが
どこまで書いていいのか、何を書けばいいのかの線引きがわからない。
あちらはこちらと違って人様に見せる目的で書くのだから
そういう意図に則したものを書くのがいいのだろうが、
ナニがアリでナニがナシなのかがいまいち決着つかない。
頭のなかではつねにそのことがぐるぐるしている。
「とめどない思いつき」「ブログどうしよう」「本の整理どうしよう」
これが三大ぐるぐる案件だな。

ただ、いくつかヒントはあって、
ひとつは、Iさんの
「公園とか道路ではなく、
 じぶんがマスターをやってる喫茶店みたいなつもりでやっています。」
という姿勢。
これは、いただこう。
暗い話やしんどい話も、友人と飲みながら明るいバカ話をするように書けたらいいね。
ふたつめは、「良心」を基準にするということ。
自分の中のお天道さまに問うて恥じないか否か。
ただ、書いたものを後で読み返して、9割がゴミに思えるのは覚悟した方がいい。
どうやら、アイデアの打率っていうのは、そういうものらしい。
みっつめは、友人と話した「自己救済としての表現」という考え方。
「自己承認欲求・自己実現欲求」で書いてしまうと、他者による評価や数字が必要になるが、
自分自身が「ああ、やりきった」と思えるかどうかを大事にするなら、それはあまり必要ない。
とはいえ、自己肯定・自己満足・自己救済、
このみっつの違いがよくわかってないのだが、
他者に精神の充足の成否を依拠せず、自己充足する気構えでということだ。

とりあえず、今日はここまで。
けっこう疲れたな。
アウトプット欲求はすごくて一日に何本も書きたいと思っているが、
アウトプット筋力・体力が追いついていなくて一日一本が限度な感じにも思える。
これも鍛えることで向上していくのかなぁ。
「やれば(わりと・そこそこ)できる」の精神でがんばろう。

♪こんちきちん


今日も今日とてうだつのあがらない一日だったが、
睡眠時に「大学生になった小早川紗枝さんとキャンパスできわめて健全な交際をする」という
ホームラン級に当たりの夢を脳髄が生成してくれたので、
この一点を以って、今日はいい日であったということにする。
ありがとう小早川紗枝はん! よくやった俺の脳髄!

 

さて。

今日も一日のうち20時間くらい寝ていた。
せっかくの、仕事にいく千載一遇のチャンスだったにも関わらず欠席した。
あちゃあ……まぁ、すぎたことは仕方ない。

で、相変わらず、
本読めない・面白いこと思いつけない・将来の展望が見えない・何で働けばいいのかわからない。
で脳がぐちゃぐちゃしていて頭のなかが重くてつらい。

あと、目が覚めてようやく「あ、金曜に映画見て友人と会う予定入れたんだった」と思い出す。
深夜はテンションがおかしいのかもしれない。薬が効いてるのか。ぱねえな。
評判の映画と仲の良い友人という組み合わせにもかかわらず、一夜明けたら、
「…………辛い」なんだからしょうもない有様である。

療養の三大命綱であったニコ動・アイマスTwitterも、だんだんしんどくなってきた。
動画は見なくなったし、アイマスは追いきれなくなったし、

Twitterではろくなこと書けなくなった。

そんなこんなでうーうー唸っていた時に見つけたツイート。


あと、別の人のやつ。

 

薬のんだ状態でまとめるのはしんどかった……今日はここまで。
明日は、当教会開設約一ヶ月ということで、振り返りを行おう。

あと、ルーティンの努力も、がんばろう。
いろいろキツいが、できる努力だけでもしておかないともっと悪くなりそうだ。
それに……もしかして、俺、よくなってきてるんじゃねえか?
逆に言えば、ルーティンができるようになれば、一条の光が差し込むのではないか?

確か今はきついが、いままでとは何かが違う。

吐き気も克服してきた。
強迫性も克服してきた。
下痢も克服してきた。

よくなっている面も確実にあるんだよ。

一年前の10月は本当にビルの最上階までいったしな。今年は行ってない。
ネット中毒の激太りもしていない。
その代わり、ひたすら寝て、飯も食ってないが……。

ルーティンで職能訓練とダイエットをして、

さらに……インプットとアウトプットができるようになったら、

それでもう「あがり」が見えてくるんじゃないか?

今は楽しむことも勉強することもできない状況で就ける仕事、

って話だから選択肢が暗くなるんだよ。まだ動き始めたばかりだぞ。

 

ついでに、ルーティンに、一年前のTwitter振り返りもくわえようか?

 

あと、インプット・アウトプットを構えすぎるな。

もっとシンプルに、きらくーに。

年配の方の若返りイキイキ体操みたいなノリで。な。

寛解=めでたし、ではないかもしれない。

もしかしたら鬱が治ってきているのかもしれないが、
鬱が治る=歳相応の能力も身につく。
というわけではないので、突き詰めて考えると、
鬱が治る=歳相応の能力がなく病気の言い訳もきかぬ無能の中年ができあがる。
ということになる。

しかし、健常者は働かねばならないのである。自活せねばならないのである。
だが、これまでたゆまず働いてきた同世代とくらべて、
能力・経験、いずれも圧倒的な差がある状態での船出となるのである。

無能な中年が、鬱により失われた17年のハンディキャップを
抱えたまま世間の荒波に放り出されるのか……。

親も老いていく、家も朽ちていく。
支えられる身から支える身に、いかにしてなればよいというのか。
いったい何を仕事にして、何をよすがにして身を立てればいいのだろう。

 

まぁ、最低限のこともできていない現状で悩むことではないのかもしれない。

これらのことは、最低限のことができてから考えればよろしいことかもしれない。
それに、鬱さえ治ってしまえば、
意外と、元気になった精神をもってして頑張れてしまうかもしれないし。
いま考えてもしょうがないのかもしれないね。

 

 

と、開き直りきれないところが、まだ弱さである。

就労がどうとか考えるのは現状のありさまではまだまだ先の話なんだから、
まず現時点の課題「だけ」と向き合うほうがよろしいのかもしれないのだが。だが。

 

デール・カーネギー曰く「今日、一日の区切りで生きよ」。

リハビリ2日目

もう夜中だし寝てしまおうかと思ったけど、
書き続けることが書けないことを治す
リハビリかもしれないと思ったので少しでも書く。

今日も1日寝ていた。23時過ぎくらいまで寝ていた。ぱねぇな。
食事は1日1回。キャベツとスモークチーズを食べた。
もはや食事というより餌だな。まぁいいけど。

本来は今日が通院日だったのだが体が動かなかったので火曜に延期した。
この延期癖はよくないのでがんばりたい。

病気は、もしかしたら軽くなっている気がしないでもない。
が、その代わりに、病気が治ったら直面しないといけない
現実に対する不安とか失望感みたいなものに苛まれるようになったのかもしれない。

相変わらず、本を読んだりラジオを聞いたりはつらい。

 

あと、統合失調症だった人の日記をたまたま見つけて読んだ。

kurunchu.hatenablog.com


なかなかにたいへんなことだ。
他人事みたいな口ぶりになってしまうが、他に言い表せない。
「ぼくもがんばろうとおもいました、まる」みたいな感想をいうのも違うし。

ただ「世界で一番ボクがかわいそうな子でちゅ」的な発想はいかんなと思った。
そういうのはいかんと思っていても、どうしても人間そっちに傾くからな。

俺にも、まだできることはあるだろう。

できることをしよう。

たぶん楽じゃないけど、このままじゃ、生きててつまんないもん。

もうちょっと、おもしろくしたいじゃない。せっかく生まれてきたんだし。

おもしろくしたいです。

書けない・読めないのリハビリ

田中圭一さんの「うつヌケ」について
(やや)否定的な感想を書いたら久々に軽くバズってしまった。
悪気があってのものではない率直なものなのでこれはこのまま置いておく。
それよりも、ここ数日のTwitterでの荒れ具合がひどい。
酒と睡眠薬に任せて書いたやつだな、たぶん。
あれをどうするかは起きてから考える。

 

「文章が書けない」「本が読めない」という辛さが続いているが、
もしかして、身体の症状におけるリハビリと同様に
辛くてもやらなきゃ治らないのではと思い、とりあえず書いてみる。

面白いとか、ウケるとかは、今の時点では考えないほうがいいだろう。
そもそも、ここはそういう場所じゃないし。

じゃあ、何を書くんだろうな。
不安とか、日常の記録とか?

最近イカれているのは、一日のほとんどを寝て過ごしているというのと、
一日に一食しか食べていないということと、
楽しみ・娯楽を含めてほぼなにもできていない・つらいということかな。
ウォーキングも二週間くらいしていない。デレマスライブ以降ずっと動けていない。

いっそ本館をリハビリブログにしてしまうか?

 

今後の方針も未来も希望も見えないが、とりあえず、今日は書いた。
もう25時半なので、この辺にしておこう。

仕事にせよ、運動にせよ、治療にせよ
「自分なんかがちゃんとできるはずがない」
「自分は怠けてサボって失敗するはずだ」
「自分は敗北し、打ちのめされる運命にある」
という「自己不信」「自己否定」が根っこにあるように思えてきた。
自分がうまくいかないことの方に常に賭け金を出していて、
実際にうまくいかなかったときに「ほうら、やっぱり」と安心する。

幼い頃から負け、負け、負けで、
その上さらにぎゅうぎゅうに押さえつけられてきた結果だろうか。

 

そうは言っても、なんとかしなければどうにもならない。
でも、どうやって?
どうすれば「敗北、失敗すると安心する」という
「敗北、失敗への確信」を変えていけるのだろう。

 

「やればできる」という成功体験の積み重ねであろうか。
確かに、小さな成功体験ならば少しずつ積み重ねられる。
(体重も10キロ減らしたし)
ここからがスタート地点であろうか。

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 3rdLIVE シンデレラの舞踏会 一日目/表現がしたい。

コーヒーによる徹夜の影響で、
ライブ(ライブビューイング)上映館に向かう時刻直前まで布団の中にいた。
まぁ、ちゃんと間に合ったし(ギリギリだけど)、
「どうせ帰って寝るだけだから」と思わず布団をしまえたことはよかったのだが。

何のライブを見に行ったかというと、
アイドルマスターシンデレラガールズ」の三周年ライブを見に行ったのだ。
今日(28日)と明日(29日)の二日間開催で、
一日目はライブビューイング、二日目は現地でという形になった。

で、ライブの感想だが、特に書くことはない。
みんなかわいいなぁとか、舞台豪華だなあとか、さっつん歌すごいなぁとか、
シンデレラ一門は本当に一門だなあとか(大坪社長アピールタイム妨害とか)、
会場めちゃくちゃでけえなあとか、小学生並みの感想ならばそれなりにあるのだが、
いかんせん、今回も直前まで鬱々していたのと、
脳みそが、田中圭一さん言うところの「濁った寒天」で覆われていて
思考能力やら感性やらは低下しているし、数割は鬱にリソース持っていかれているし、
なにやら邪念が生じてライブに集中できないしで、
純粋に心から楽しむのがあいかわらず難しいのだ。
(話はずれるが、毎度一番泣けるのが最初の協賛企業表示のとこなのはなぜだろう)

邪念の話。

邪念と呼ぶべきか煩悩と呼ぶべきか微妙なところであるが、
要するに、私は「表現がしたい」のである。「書きたい」のである。
もっとブログをいっぱい書きたいのである。
いままさにここで書いているじゃねえかという話ではあるが、
ここはいわば避難所。本当は表のブログで書きたいのである。

が、私の生活の現状はとてもじゃないがお天道さまの下に晒しがたいものである。
表現者の中には自分のマイナス面をさらけ出す人も多いが
その結果生じるリスクを私の脆弱な心が負えるかというとなかなかに不安である。
であるなら、安全な内容の記事だけ書けばいいではないかという話になるが
これだと、自分自身が面白いと感じて満足できるものが思いつきにくいのである。
要因としては、頭がバカになっていてインプットができないのでネタがないというのもあるし、
自分の関心事がひたすら自分自身に向いていて創造的な方向にいっていないというのもある。
そのせいか、以前は妄想で自分を楽しませることや、
それをTwitterに放流してそれなりの反響を得ることができていたが、
それらがほとんどできなくなった。
創造レベルはおろか、妄想レベルでのクリエイティビティ・アイデアも消失してしまった。
いうなれば、自分という顧客にとって自分がつまらない・退屈な存在になってしまったのである。

 

書くのに疲れたのと、もう夜遅いので、今日はここまで。
もう26時だ。明日は朝9時集合だ。
もっと書く時間を早くしたほうがいいかもね。
ただ、この記事を書くことで少しだけホッとしたというか、救われた。

続きは、書けたら書く。

徹夜で朝7時

今日はあちこち外出したりいろいろやってたりしたのだが
それらを逐一書き記すとプライバシーが駄々漏れになるからここには書かない。
備忘として手帳に書いたからもういいのだ。

で。

あちこちへの外出をすませスタバでコーヒーを飲んでいたら
久々にカフェインを摂取したせいか久方ぶりに脳が楽しくなった。
自分の妄想で自分を楽しませるのはかなりの快感を伴う娯楽である。
自分にとって自分がつまらないという状況がずっと続いていたので楽しいのなんの。

妄想のネタは「儲かるブログ」。
「はたらいていないひと。」というタイトルで
吾妻ひでおさんや中島義道さんみたいに全部自分をさらけ出す系。
で、これをああして、あれをああしてとコーヒー飲みながら考えてたんだけど、

今思うと、あんまりおもしろくなかった。

そもそも、一万二万のためにプライバシーを全部晒して割に合うのか?
それに、ガンガン毎日記事更新しないと人来ないぞ?
広告の貼り方もかっこいいブログの作り方も知らないし。

 

人が見ないことを前提としたここですら、
なんとか一日一回更新ができはじめたばかりだというのに、
人様に見せる文章・ネタを毎日できるものであろうか。

……。

書くことでお金を稼ぐなら、雇われ先で記事を書いたほうがよさそうだ。

ていうか、大事なのは、書いて、読み返して、
自分で「たのしい」と思える記事が書けるかどうかだろう。
さらにいうなら、読む人をたのしませられないといけないわけだ。
「自分のため」もおぼつかないのに、「人のため」が書けるであろうか。

ということを考えていたら徹夜してた。

コーヒー、恐るべし。

身体壊すから今後は飲む量もっと気をつけなきゃ。

 

 

まずは「記録として」の記事から書きはじめてみるのは、いいかもしれない。
記録と感想。批判的なことは書かない。「よかった探し」をする。