でろでろの日

つらい、しんどい、未来が見えない、死にたい。

 

さて、今日は事態好転への重点課目である

・早寝早起き(朝の光にあたる)
・日中のウォーキング
・糖質制限の食事
・就労のリハビリ

のうち、糖質制限の食事しかできなかった。
鶏肉茹でて食べたよ。全然足りないし経済的とも思えない。
300グラムで340円くらいなら
セブン-イレブンのサラダチキンと豆腐と野菜の方が安上がりでは?

で、それ以外は、夜まで布団の中にいて、それ以降はネット見てた。

クズである。

努力してもうまくいくビジョンが見えないので、
「やりたくなさ」に負けてしまうのである。

なんともクズな言い訳である。

でも、他に手が無いんだから、やるしかないじゃない!

……とはいえ、未来に夢も希望も見えない。
現時点ですでに、頭が悪くなって機能していないし、
楽しいこともありゃしない。

治ることを信じ切れないから頑張れないし、
頑張れないからよくならない。

悪循環である。

本当に努力で治るのか……?

努力してから考えろということか……?

自殺したいけど痛いのも人様に迷惑かけるのもいやだし、
なにより自殺はあの世で重罪らしいのでそれもいやだ。

もう少し、もう少しだけ頑張ってみようかな。

頑張れるかなあ、自信ないなあ、不安だなあ。

こういうのは、「やる」って決めるかどうかなのかもしれないけど。

まぁ、やるしかないんですけどね……。

 

申し訳ない、今日はこんな辛気臭いことしか書けませんでした。

 

でも、これじゃああんまりなので、せめて自分を鼓舞しよう。

頑張れ、頑張れ。頑張れば何か見えてくるはずだから。
努力すれば逆転はあるってあの人も書いているじゃないか。
自分を助ける本を読むのもいい。それらなら読めるだろうし。
いずれにしろ、どうせ人は順番に死ぬんだから、できることをして死のう。

まだできることはある。
一歩ずつ、一歩ずつ。
今日、一日の区切りで生きることを心がけて……。

ていうか、死にたいのか死にたくないのか、どっちやねん!(笑)

低迷期/たったひとつの冴えたやりかた

ああ、今日は書き出しからして苦労した。
心身がつらくて「つらい、しんどい、死にたい」から
書きはじめるほかないかともおもったが、

そんな辛気臭いもの私含め誰も望んではいない。

 

小林幸子さんのカムバック劇の記事を読んだ。

lite-ra.com



なぜか泣いた。

圧倒的逆風、圧倒的逆境のなかで新天地を切り開きよみがえる。
なかなかできることではない。
下手すりゃ、干された時点で管巻いて酒飲んで

終わっていってもおかしくないケースだ。


スポーツニュースも読んだ。
プロ選手ともなると、身体のトラブルを抱えていない人はいないという。
どこかしらが痛かったり、張っていたり。
それでも、治療しながら、工夫しながら、やっていく。
なにより、結果を出さねばならない。
「痛みに耐えて頑張った」だけじゃダメで、
「痛みに耐えて成果を出した」じゃなきゃダメなのだ。

なかには、猛烈なリハビリを乗り越えて復活する人もいる。

その精神力たるや……。

 

私はいま、長い長い低迷期にいる。

打破の一貫として、大学病院で全身性の検査を受けたが、
脂肪肝中性脂肪コレステロールという、
「デブの三種盛り」以外はそれなりに健康ということで、
これは幸いなことではある。
あと、なんか血の気が濃すぎてドーピング扱いの数値が出たらしい。
長距離走者や自転車競技者に向いているという。ほんまかいな。

 

さて。

身体の方でトラブルが見つからなかった以上、
現状の治療を続けていくしかない。

が、それがうまくいかなかったから精密検査をしたわけで、
今後打つ手としては、治療に加え、

・早寝早起き(朝の光にあたる)
・日中のウォーキング
・糖質制限の食事
・就労のリハビリ

これらを頑張れ、ということになる。

あらゆることがめんどうくさくて生きるのがつらい現状からすると
これらもなかなかにつらいのだが、他に手はない。
150万円くらいあれば他に手がある可能性もあるが、そんな金はない。

であるなら、睡眠・運動・食事・仕事の生活努力をしていくしかない。

まぁ、三ヶ月から半年やってみて、なんらかの結果が出るでしょう。

「あの人」にここまでガッチリ睨まれてしまった以上、
「やらない」という選択肢はもうないしな。

「あの人」は、頼りになるが、恐ろしい。

 

小林幸子さんや苦しいリハビリを乗り越えて復活するアスリートのように

私もなれるのであろうか?

 

ところで、今の自分の大きな問題である。
「思考中毒」「情報中毒」の治し方はありませんかねえ?

頭が悪くなっているのに、考えることはとまらないという……。

脳トレとして書く

書きたくても書けないという症状に陥り、
発散できずにいた表現欲求のようなものは
このブログという場を設け、記事を一本書き上げたことでかなり緩和された。

が、相変わらず頭の働きは悪い。
面白いことが思いつかないので自分で自分を面白がれない。つまらない。
また、本が読めない症状も続いている。

これを知人の作家に話したところ、
「頭を使っていないから頭の働きが悪くなっているんじゃないか?
 俺だって数日小説を書くのを休んだら再び書きはじめるのは一苦労だ。
 ある作家は『一日一行でも二行でも書いておけば何とかなるが、
 まったく書かない日を作ってしまうと勘を取り戻すのが大変になる』と言ってたぜ」
と言われた。

なるほど。

頭が悪くなったと感じるようになった以前と以後では生活の質に大差ない気もするが
(むしろ、堕落しきっていたころの方がTwitterではウケが取れていた)
頭を使っていない生活を送っているというのは確かにそうかもしれない。
あらゆることに対して「めんどくさい」という反応を頭がしてしまうのも、
思考や行動がアクティブでないがゆえに身についた怠惰の習慣かもしれぬ。

であるなら、どうしようか。

文章を書くのは、頭の運動になるであろうか?
誰にも読まれることを前提としない
ここの記事で自分のことを書く分には、なんとか書けそうである。

頭のトレーニング(ボケ防止とも言う)として、
ここの更新頻度を試しにあげてみようか。

それで頭が動き出したら御の字。
なにごともまずはやってみることだ。

だってここに書くことは、どれだけつまらなくてもかまわないのだから。
なにも恐れることはない。

手紙のように書く

書きたいのに書けない。
読みたいのに読めない。
そういう日々が続いていた。

書けない理由は、自分が書いたものが自分で読んで面白くなく、
行き詰まりと虚しさを感じだから。
また、読まれたいという願望と、こんなものを読まれたら恥ずかしいという羞恥心との葛藤。
閲覧数が思うように伸びないという失望も、もちろんあった。

読めない理由は、よくわからない。病気のせいかもしれない。
もっとも、病気でも読めていた時期もあったわけだが……焦りであろうか。

無理する必要はないではないか、
義務や仕事のわけでなし、
できるときにだけやればいいではないかという考えもあるだろう。
しかし、できない状況の一方で
たくさん書きたい、沢山読みたいという気持ちだけはひたすらに募り、
頭がパンクしそうになっているのだ。
欲求は高まっている、だが、発散できない。
なかなかにつらいことである。

二兎を追う者は一兎をも得ず。読むのほうはいったん棚上げするとして、まず書くほう。
どうすればいいのか。何なら書けるのか。思い悩んだ。

まず、「こんなつまらないものを読まれたら恥ずかしい」という
羞恥心への対策を講じることにした
これは比較的簡単。別の名前で別のブログをつくることにした。
こうすれば、私を知る人、いや、ほぼだれもが読むことのない場ができる。
書きたいけど読まれたくない現状における隠れ家である。

ブログタイトルは「教会のマッケンジー」とした。
マッケンジーとは、ビートルズの「エリナー・リグビー」に登場する、
誰にも顧みられることのない神父の名である。
ひとりぼっちで語り続ける場として、なかなかいいタイトルだと思っている。

さぁ、場はできた。

しかし、書くことが思いつかない。書きたい欲求はあるのに。

どうするか。

ヒントは突然降りてきた。

寺社で神仏に感謝を奉納するように、
教会で神に祈るように、内なる神と対話するするように書こう。
それこそ「教会のマッケンジー」の名にふさわしい。

これが思いついたら、あとは楽だった。
憑き物が落ちたように、胸が楽になった。

そしていま、私はこの、一本目の記事を書き上げた。

おそらく、誰にも読まれることのない記事である。
だが、それはそれでいいのだ。読まれたければ、もうひとつのブログに書けばいい。
ただ、もしかしたら、メッセージボトルのように偶然誰かが目にするかもしれない。
それならそれで、かまわない。
嬉しいかもしれないし、そうでもないかもしれない。
それは先の話である。いまはどちらでもいいのである。