寛解=めでたし、ではないかもしれない。

もしかしたら鬱が治ってきているのかもしれないが、
鬱が治る=歳相応の能力も身につく。
というわけではないので、突き詰めて考えると、
鬱が治る=歳相応の能力がなく病気の言い訳もきかぬ無能の中年ができあがる。
ということになる。

しかし、健常者は働かねばならないのである。自活せねばならないのである。
だが、これまでたゆまず働いてきた同世代とくらべて、
能力・経験、いずれも圧倒的な差がある状態での船出となるのである。

無能な中年が、鬱により失われた17年のハンディキャップを
抱えたまま世間の荒波に放り出されるのか……。

親も老いていく、家も朽ちていく。
支えられる身から支える身に、いかにしてなればよいというのか。
いったい何を仕事にして、何をよすがにして身を立てればいいのだろう。

 

まぁ、最低限のこともできていない現状で悩むことではないのかもしれない。

これらのことは、最低限のことができてから考えればよろしいことかもしれない。
それに、鬱さえ治ってしまえば、
意外と、元気になった精神をもってして頑張れてしまうかもしれないし。
いま考えてもしょうがないのかもしれないね。

 

 

と、開き直りきれないところが、まだ弱さである。

就労がどうとか考えるのは現状のありさまではまだまだ先の話なんだから、
まず現時点の課題「だけ」と向き合うほうがよろしいのかもしれないのだが。だが。

 

デール・カーネギー曰く「今日、一日の区切りで生きよ」。